2019-04-10 第198回国会 衆議院 国土交通委員会 第5号
これは、藤波孝生さんの、鎮魂の祭りをしなければいけないよなと言われていた、それに対する一つの回答だというふうに私は思いますし、よくできたよなというふうに思うんですけれども、その心配というのは、国費でこういう宗教的な儀式をされるようなそういうものをつくったときに、これに対して何ら異論を言う人がいないのかといえば、そうでもないような気もするんですけれども、このあたりはどういうふうに整理をされたのか、お知
これは、藤波孝生さんの、鎮魂の祭りをしなければいけないよなと言われていた、それに対する一つの回答だというふうに私は思いますし、よくできたよなというふうに思うんですけれども、その心配というのは、国費でこういう宗教的な儀式をされるようなそういうものをつくったときに、これに対して何ら異論を言う人がいないのかといえば、そうでもないような気もするんですけれども、このあたりはどういうふうに整理をされたのか、お知
中曽根総理に会いたかったんですけれども、そうはいきませんので、当時官房長官をやっていた藤波孝生さん、もうおやめになっていたんですけれども、藤波孝生さんのところに陳情に行きました。 そのとき、藤波さんがこうおっしゃったんですね。荒井さん、和人はアイヌの人々の鎮魂の祭りをしないといけませんね。鎮魂の祭りということを言われました。
つまり、藤波孝生さん流に言うと、和人が慰霊の祭りを助けてくれたというか、そして、ある意味で謝罪をしてくれたということにつながるのではないかというふうに思うので、ここのところは遺漏なきように、ぜひしっかりやってもらいたいというふうに思います。
そして、憲法五十三条が云々とかいろいろなお話がありますけれども、やはり国会というのは基本的に、僕は昔から、うんと、もう三十年前は藤波孝生代議士の秘書をやっていたわけですから、国対委員長なんかの秘書もやらせていただきましたので、そのときに、野党の人たちは、活躍する場というのはやはり国会なんですよね。そして、政府の方々はそこをしっかり守っていかれるということだと思うんですよ。
かつて私は、藤波孝生元官房長官の秘書を長くやっておりました。先日、一周忌がありまして、十二月三日にあったんですが、そのときに中川大臣も代理の方に来ていただいたような気がします。ありがとうございます。そして、与野党問わずたくさんの方にお越しをいただきました。ここでまた、そのことについてのお礼も言いたいというふうに思います。
○中川国務大臣 まず、松木委員がお仕えされた藤波孝生先生、私の父親の代から大変御交誼をいただきまして、私自身もそのけいがいに接して、大変立派な方でございまして、先日の一周忌、私、行かなければいけなかったんですけれども、代理で失礼させていただきました。本当に、藤波先生には改めて心から御冥福をお祈りさせていただきたいと思います。
実は、年はまだ四十九なんですけれども、私は藤波孝生の秘書をやっていまして、この世界もう三十年、十九歳のときから秘書をやっていまして、随分時間がたっちゃったなと思うんですよ。 ぱっと前を見ますと、私が秘書をやっていたころの活躍した先生方がそれぞれ、天国に召された方もいるし、お元気な方もいる。
永年在職議員として表彰された元議員藤波孝生君は、去る十月二十八日逝去されました。まことに哀悼痛惜の至りにたえません。 藤波孝生君に対する弔詞は、議長において去る六日既に贈呈いたしております。これを朗読いたします。
○駒崎事務総長 まず最初に、議長から、永年在職議員として表彰されました故元議員藤波孝生先生に対する弔詞贈呈の報告がございまして、議長が弔詞を朗読されます。 次に、日程第一につき、渡辺総務委員長の報告がございまして、全会一致であります。 次に、日程第二及び第三につき、下村法務委員長の報告がございます。両案を一括して採決いたしまして、全会一致であります。
義弘君 ————————————— 委員の異動 十一月八日 辞任 補欠選任 井脇ノブ子君 藤野真紀子君 日森 文尋君 重野 安正君 同日 辞任 補欠選任 藤野真紀子君 井脇ノブ子君 重野 安正君 日森 文尋君 ————————————— 本日の会議に付した案件 永年在職議員として表彰された元議員藤波孝生君逝去
まず、元議員逝去につき弔詞贈呈報告の件についてでありますが、去る十月二十八日、永年在職議員として表彰された元議員藤波孝生君が逝去されました。 ここに謹んで哀悼の意を表します。 弔詞につきましては、お手元の印刷物のとおりの特別弔詞を、理事各位の御了承を得まして、去る六日、議長から贈呈していただきましたので、御了承願います。
私も俳句については、藤波孝生さんが非常に三重県で有名な、国会でもそうでございますが、時々私も自民党の皆さんから、藤波君によく似ているなというようなことで、うれしいような、そんなに年かなと思っておるんですけれども、これは冗談といたしまして、奥ゆかしさというのは、私はまねができませんが、非常にいいものがあるというふうに思っております。
しかし、その中で、私の立場に理解を示していただいたのは、地元の菅野和太郎先生や、当時の若手代議士河野洋平さんや藤波孝生さんでした。また、私と同じ野にあって活動していて何度か議論し合ったのが、田中秀征さんや中川秀直さんでした。
最後に、従前、藤波孝生議員や中村喜四郎議員を初め、野党による議員辞職勧告決議案の本会議上程の要求を受け入れてこなかった自民党が、本院において初めて議員辞職勧告決議案の提出者となりました。今後、数を頼みとした恣意的な対応と受け取られることがないよう厳に留意すべきことを申し添え、決議案に賛成の意見表明といたします。
官房長官は本当に大変なお仕事、私も藤波孝生官房長官の秘書をやっていましたので、朝は本当に指一本一本を一生懸命起こさなきゃ起きられないぐらい非常に大変な仕事というふうにも聞いております。
そのときに一緒に取り組みましたのが、一昨日惜しくも亡くなられました三塚博さん、そして引退をされました藤波孝生さん、現在の衆議院議長の河野洋平さん、そして前総理の森さん、それと私とでこの法案を取りまとめをしたわけであります。
そこで、実は私も二年前から、もうリタイアされましたが、藤波孝生先生が会長をされておった実は島嶼議員連盟というのが衆参でありまして、その連盟に加わらせていただいておったわけですけれども、そこでもうかねがね問題になっておったのが、いわゆるこの離島との航空路の対策をどうするかという、その高い運賃コストですね、航空運賃のコストをどうするかと。いわゆる百歩譲って観光というのは、これはもうあれです。
(第七二一号) 三八九 同(三井辨雄君紹介)(第七二二号) 三九〇 同(宮澤喜一君紹介)(第七二三号) 三九一 同(山口富男君紹介)(第七二四号) 三九二 同(阿部知子君紹介)(第八一九号) 三九三 同(加藤公一君紹介)(第八二〇号) 三九四 同(児玉健次君紹介)(第八二一号) 三九五 同(志位和夫君紹介)(第八二二号) 三九六 同(田並胤明君紹介)(第八二三号) 三九七 同(藤波孝生君紹介
冬柴 鐵三君 桝屋 敬悟君 丸谷 佳織君 山名 靖英君 若松 謙維君 井上 喜一君 江崎洋一郎君 海部 俊樹君 金子善次郎君 熊谷 弘君 佐藤 敬夫君 二階 俊博君 松浪健四郎君 山谷えり子君 粟屋 敏信君 宇田川芳雄君 柿澤 弘治君 後藤 茂之君 徳田 虎雄君 藤波 孝生
西川 京子君 宮本 一三君 後藤 斎君 今田 保典君 齋藤 淳君 津川 祥吾君 筒井 信隆君 堀込 征雄君 吉田 公一君 江田 康幸君 遠藤 和良君 一川 保夫君 中林よし子君 松本 善明君 菅野 哲雄君 山口わか子君 佐藤 敬夫君 藤波 孝生
後藤 斎君 今田 保典君 齋藤 淳君 樽床 伸二君 津川 祥吾君 筒井 信隆君 堀込 征雄君 吉田 公一君 江田 康幸君 山名 靖英君 黄川田 徹君 藤井 裕久君 中林よし子君 松本 善明君 菅野 哲雄君 山口わか子君 佐藤 敬夫君 藤波 孝生
高木 毅君 山本 明彦君 後藤 斎君 今田 保典君 齋藤 淳君 津川 祥吾君 筒井 信隆君 堀込 征雄君 山内 功君 吉田 公一君 江田 康幸君 藤井 裕久君 中林よし子君 松本 善明君 菅野 哲雄君 山口わか子君 佐藤 敬夫君 藤波 孝生
七条 明君 高木 毅君 西川 京子君 宮本 一三君 後藤 斎君 齋藤 淳君 津川 祥吾君 伴野 豊君 堀込 征雄君 吉田 公一君 江田 康幸君 藤井 裕久君 中林よし子君 松本 善明君 菅野 哲雄君 山口わか子君 佐藤 敬夫君 藤波 孝生
七条 明君 高木 毅君 西川 京子君 宮本 一三君 後藤 斎君 齋藤 淳君 津川 祥吾君 筒井 信隆君 堀込 征雄君 吉田 公一君 江田 康幸君 藤井 裕久君 中林よし子君 松本 善明君 菅野 哲雄君 重野 安正君 佐藤 敬夫君 藤波 孝生